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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)480号 判決 1963年12月11日

控訴人(附帯被控訴人) 黒野清

右訴訟代理人弁護士 大河内躬恒

被控訴人(附帯控訴人) 株式会社治田商店

右代表者代表取締役 治田栄一

被控訴人(附帯控訴人) 竹野貞夫

右両名訴訟代理人弁護士 井原一

主文

一、原判決を次の通り変更する。

二、被控訴人両名は各自控訴人に対し金六五万円及び之に対する昭和三一年一一月一六日から完済まで年五分の金員を支払え。

三、控訴人その余の請求を棄却する。

四、本件附帯控訴を棄却する。

五、訴訟費用中附帯控訴に関する部分を除く部分はこれを五分しその一を控訴人の負担とし、その余は被控訴人等の負担とし、附帯控訴費用は附帯控訴人(被控訴人)等の負担とする。

六、この判決の主文第二項は控訴人が金二〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、当裁判所も本件事故により被害者黒野和雄が死亡したのは被控訴人竹野の過失に基くものであること、従つて被控訴人両名は控訴人に対しその蒙つた損害を賠償する責任があるものと判断するものである。その理由は原判決の理由説示≪中略≫と同一であるから、その記載を引用する。

二、被控訴人等は被害者及びその監護義務者である控訴人にも過失があつた旨抗争するから判断する。

(一)  被控訴人等は被害者黒野和雄は本件事故現場である車道を横断する際その安全を確認しなかつた過失があると主張するけれども被害者が昭和二四年一一月一九日生であつて当時満七才に満たない幼児であつたことは当事者間に争いがないから同人は社会通念上行為の責任を弁識するに足るべき知能を具えている者とは到底認めることができない。尤も原審ならびに当審における控訴本人の供述によると被害者は当時東京都目黒区下目黒小学校一年に在学し、健康で明朗なうえに親の言いつけをよくきき、学業成績も良好な児童であつたことが認められるけれどもそれだけで被害者が前記程度の知能を具えた者ということができないことは勿論である。従つて被害者に責任能力がないのであるから、その注意を直ちに被害者の過失として民法第七二二条第二項を適用すべきでないというべく、この点に関する被控訴人等の主張は理由がない。

(二)  被控訴人等は控訴人は被害者の監督義務者として本件事故について過失があると主張する。そして被害者が満七才に達しない幼児であることは前認定の通りであるから控訴人は被害者の父として同人に対し交通頻繁な道路の横断についてはその安全を確認した上なすよう十分な注意を与える監護義務があることは当然というべきである。控訴人は平素から被害者に対し道路横断の際は十分注意するよう指示していたと抗争し原審ならびに当審における控訴本人はこれに副う供述をしているけれども、被害者が親の言いつけをよくきく学業成績の良好な子供であること前認定の通りであるのに被害者は本件事故現場の道路を横断するに際し現場手前の目黒薬局の横を走り抜けてそのまま車道の往来に注意することなく先行するバスの通過した直後車道にとび出し本件事故に及んだことは当審で引用する原判決の認定の通りであるからこの事実に徴すれば前記控訴本人の供述部分はたやすく措信することができず他に控訴人の右主張事実を認める証拠がないからこの点に関する控訴人の主張は理由がない。控訴人は控訴人の右過失と本件事故、又はそれによる損害の発生と相当因果関係がないと抗争するけれども被害者に責任能力がなく、本件事故発生につき控訴人に監督義務者としての過失があること前叙認定の通りであるから控訴人の右過失は損害の発生についての過失というべく、従つてこの点に関する控訴人の主張も理由がない。

又控訴人は被害者でないから被害者和雄の得べかりし利益の算定に際し控訴人の過失を考慮すべきではないと抗争するけれども、被害者和雄は責任無能力者であつて同人の不注意については民法第七二二条第二項の過失相殺の適用がないこと前説示の通りであるからかかる場合被害者の監督義務者に過失があるときはその過失につき前示法条の規定が適用されるものと解するのが相当である。けだし被害者が単に責任無能力者であるということだけで加害者が不利益を受けるよりも、監督義務者の過失により被害者が不利益を受けるものとすることが前記法条の趣旨である公平の観念からいつて妥当であつて、責任無能力の被害者はその監督義務者の過失によつてかかる不利益をうけてもやむを得ないものというべきである。従つてこの点に関する控訴人の主張も理由がない。

三、そこで進んで被控訴人等が控訴人に対し賠償すべき損害額について考慮する。

(1)  慰藉料

原審ならびに当審における控訴本人の供述によると控訴人がその主張の通りの学歴、職業、収入があること、当時妻(現姓山王堂エミ)との間に和雄が唯一の子供であつて同人は健康で明朗であり一家団欒の中心であるとともに学業の成績も良好であつて控訴人等両親もその将来を楽しみにしていたことが認められるから本件事件により一瞬の間に愛児を失い控訴人が言語につくし得ない精神的苦痛を受けたことは推測に難くないところである。然しながら被控訴会社が和雄の葬式費用として金七〇、六三六円を負担したことは控訴人の認めるところであつて、そして原審における被控訴会社代表者治田栄一本人、被控訴人竹野本人の各供述を綜合すると被控訴会社代表者治田栄一及び被控訴人竹野は本件事故後直ちに控訴人方を訪れ同人に対し陳謝すると共に右治田は葬式費用の負担を申入れて、葬式の世話をしたことが認められ、以上認定の各事実に前叙認定の被控訴人竹野の過失その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を綜合し、前認定の控訴人の過失を斟酌すれば被控訴人が支払うべき慰藉料額は金一五万円を以つて相当とすべきものというべきである。

(2)  被害者和雄の得べかりし利益の喪失による損害

(イ)  厚生大臣官房統計調査部刊行の第九回生命表によると満七才の男子の平均余命が五八・一九年であること、労働大臣官房統計調査部刊行の第九回労働統計年報によると昭和三一年度の全産業常用労働者の男子一人当りの平均一ヶ月間の給与額が金一九、九四六円であること、総理府統計局調査によると昭和三一年度の都市世帯の一ヶ月の平均消費支出費から算出した一人当りの消費支出費が金五、一九六円となることはいづれも顕著な事実である。これを基礎として算出すると被害者和雄の一年間の純利益は金一七七、〇〇〇円となること算数上明白である。

(ロ)  そこで被害者和雄が満二〇才から稼働するとして余命五八年から一三年を差引いた四五年間の純利益を得るわけであるが、控訴人は同人の余命稼働年数中三八年間の純利益を損害として計上しているので、右三八年間の純利益額は六、七二六、〇〇〇円となり右金額は和雄が将来得べかりし利益であつて、同人は本件事故によりこれを喪失し同額の損害を蒙つたものというべきである。ところで右金額は三八年後に至るまで漸次得べかりしものであるから、現在これを一時に支払を求めるにおいては、「ホフマン」式計算法により年五分の中間利息を控除し、損害額を金一、七二四、六一五円とすべく、控訴人はその妻訴外山王堂エミと共に和雄の死亡により相続したことは当事者間に争がないから、控訴人は金八六二、三〇七円の損害賠償債権を取得したこととなるが、控訴人は和雄の監督義務者として本件事故の発生につき過失があることは前叙認定の通りであるから、この過失を斟酌すると被控訴人等が控訴人に対し賠償すべき金額は金六〇万円を以つて相当と認むべきである。

(ハ)  被控訴人等は控訴人は本件事故当時四五才であつて、その平均余命は二五・二九年であるから、控訴人が相続した損害賠償請求権は控訴人の余命二五年から被害者和雄が満二〇才に達するまでの一二年を差引いた一三年間の利益に限るものであると抗争するけれども、控訴人は被害者和雄の死亡により同人の損害賠償債権全額を相続により取得したものであるから、控訴人の余命年数により制限をうけるものでないこと当然であつて、この点に関する被控訴人等の主張は採用できない。

四、以上説示の通りであるから、被控訴人両名に対し慰藉料として金二五万円、被害者和雄の将来得べかりし利益の喪失による損害金の内金五〇万円の支払を求める控訴人の本訴請求は、慰藉料として金一五万円、得べかりし利益の喪失による損害金として金五〇万円以上合計金六五万円及び之に対する本件事故の翌日である昭和三一年一一月一六日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める範囲内では正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却を免れない。

従つて本件控訴は一部理由があるから原判決を変更すべく、本件附帯控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三八六条第三八四条第九六条第九二条第九五条第八九条第一九六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 菊池庚子三 裁判官 川添利起 花淵精一)

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